功利主義とは何か(ピーターシンガーほか著、岩波書店)
『功利主義とは何か』(ピーターシンガーほか著、岩波書店)は、快、幸福を最大に、不快、不幸を最小にすることを目指す政治思想、また倫理思想である「功利主義」の神髄を、平易に解説する一冊である。
著者は現代における功利主義の可能性を追求する第一人者。オーストラリアの哲学者、倫理学者だ。
読みどころ1 功利主義で考える難問
本書では、ベンサム、ミルら、功利主義の創始者から、ヘンリー・シジウィック 、そして著者自身までの思想を解説。
有名な思考実験である「トロール問題(爆走するトロッコに轢かれる犠牲者を少なくするため、あえてかじを切り、何もしなければ轢かなくて済む人を犠牲にするのは善か)」などを例にとりながら、功利主義の骨子を解説するとともに、代表的な功利主義批判にもこたえていく。
ベンサムの有名な言葉「最大多数の最大幸福」のように、功利主義は非常にわかりやすい原理を持つ。だが、快や幸福とは何か、だれにとって、どの範囲の人(動物も?)の快を重視するかについて、答えは一様ではない。
異なる種類の快を比べる際に、どのように快の優劣をつけるのか、というのも難題である。これはベンサムの「最大多数の最大幸福」と、ミルの「満足な豚より不満足なソクラテスであるほうが良い」との違いにも鋭く、危うく表れる問題だ。
シンガーは、自分自身を含め功利主義的な思想家たちが、どのように疑問や批判に応えているかについて丁寧に解いていく。
読みどころ2 誰でも議論の土俵に乗れる理論
当然のことながら、功利主義的な考えを持つ人であっても、政治的な方法論として政策へ適用する際には、答えが一様であるわけではない。
シンガーは、同じ政治思想を下敷きに思考するからと言って、個々のイシューについて、唯一の答えが得られるわけではないということに、何度か突っ込みを入れている。
裏を返せば「唯一の答えが出ない」という、至極当たり前のことが、批判たり得てしまうのも功利主義に対する期待の高さだと思える。
私たちは、えらい思想家に言われなくても、日常的に功利主義(的)判断をしているのであり、だからこそ功利主義の議論は普遍性を持ち、議論に誰でも参加できる。価値が多様化する世界において、数少ない実用的な理論なのだ。
功利主義の実力は歴史が証明しているともいえる。
たとえば創始者の一人に数えられるミルは、19世紀、女性参政権を「否定する理由が見つからない」と推進している。人口の半分を占める女性に、まともな権利を与えないことは功利主義的に許されるかと考えると、論理的必然であるといえるだろう。
ベンサムは18世紀に、いまでいう「LGBT」の権利について極めて先進的な論考を残していて、その先見性は目を見張るものがある。
本書では歴代の思想家たちが、私的財産権および富の再分配、参政権、安楽死、環境問題、動物保護など、実際の社会問題についてどう考えてきたかについても概観している。
功利主義は著者の言うように、「世界で最も影響力のある思想」なのかもしれない。本書はその英知の一端に触れ、思考トレーニングするための絶好の入門書といえるだろう。