ブリューゲルの世界 (とんぼの本) 森 洋子著
16世紀、アントワープに生まれたフランドル画家、ブリューゲルの魅力がコンパクトにまとまった『ブリューゲルの世界』(新潮社)。
ブリューゲルの代表作の数々が豊富な画像と、日本のブリューゲル研究の第一人者、森洋子氏による解説とともに紹介されている。
<h2>読みどころ1 謎多き作家を「理解」する</h2>
しかしこのブリューゲル、謎が多い画家なのである。
農民や子供、広場いっぱいにひしめく人々を、一人一人の表情を克明に描きこむ画の数々は私たちファンの興趣を大いにそそるわけだが、彼の筆致からは、モデルとなった彼・彼女らへの共感のまなざしを感じさせるともに、独特の距離感も感じさせる。
農民たちの日常を描き出す作品は、牧歌的にも、敬虔にも、また残酷にも見える。
その筆にどのような意図が込められているのか想像するのは、現代の作家と比較してはもちろんだが、同時代の他の画家と比しても難しいのだ。
本書が教えてくれるのは、ブリューゲルの作品に通底する篤い宗教心と寓意、人間への興味と慈しみとアイロニー等の重層性を「理解」するには、前提が必要となるということだ
日本人がヨーロッパ絵画を見る際にネックとなる聖書のモチーフ、またブリューゲルが好んで範をとったフランドルのことわざ、言い伝え、奇怪なモチーフが登場する宗教画については、ボスなど先駆者の影響も見逃せない。また個々の絵の発注者であるパトロンの要望が反映されていることも間違いない。
本書では最新研究も取り入れ、不明な部分を含めて、当時の制作の背景に迫っている。
<h2>読みどころ2 でもやっぱり謎</h2>
と同時に、筆者が強調するのが、ブリューゲルに関する通説・俗説の「誤解」だ。
たとえば彼の「農民画家」というイメージ(ブリューゲルは生涯を通じて都市住民)や、これまで有力とされてきた、彼がプロテスタントであり、カトリックへの批判精神が込められていとの説も否定、そのほか、作品の過度に政治的な解釈は避けている。
画をみるために有用な情報を提示しながらも、解釈の押し付けには抑制的な姿勢が貫かれているともいえる。
知識を得ることは楽しいこと。しかし芸術を鑑賞するうえでは時に障害にもなる
ブリューゲルの絵は、虚飾を排し、固定化した見方をいったん無化すると、何度見ても、新たな発見、感動がある。
本書の帯で「AKIRA」の大友克洋氏がいうように、ブリューゲルの「いくら見ても飽きない」魅力は、説明がつかないのである
これはやっぱり謎といわねばならぬだろう。
なお、本書では2010年にプラド美術館によって発見され、2011年にブリューゲルの真作と認められたテンペラ画「聖マルティンのワイン祭り」も掲載している。
本書で彼の数々の作品を見、森氏による解説を読んだあと、改めて本作を見た時は「これは彼の作品に違いない」といっぱしに太鼓判を押したくなるのが不思議である。