戸籍と無戸籍――「日本人」の輪郭 遠藤 正敬 (著)

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『戸籍と無戸籍――「日本人」の輪郭』(遠藤 正敬 (著)、人文書院)は、ほぼ日本独自の国民台帳制度である「戸籍」の歴史を、律令時代から現代までひも解く本である。

そして日本人でありながら戸籍のない人、無戸籍に生きる人の姿に焦点を当て、必要性が自明とは言えない戸籍の存在を浮き彫りにする

読みどころ1 そもそも戸籍って?

まず「戸籍」って、何のためにあるのだろうか。

様々な手続きに用いられる住民票とは異なり、戸籍謄抄本を提出する機会はほとんどない。

あったとしても、ほかの書面で代替することは理論上可能だ。国籍の確定、出生や結婚や転居などイベントごとの個人の記録があれば事足りる。

戸籍は、氏を同じくする家族を単位に、国民を登録するものである。しかし戦前に権利主体であった「家」はいまはない。戸は何らの権利の主体ではない。しかし形式上、必ず所属する形になっている。

新たな戸籍が編成されるのは、主に結婚したときだ。法律婚をしたことのないものは、中高年の世帯主でも、親の戸籍に入ったままであることが多い。

一度結婚すれば離婚しても原則として元の戸籍には戻らない。親の「戸」の一員であることは、何を表すのか不明だ(生涯未婚証明?)。

「本籍」も謎の存在である。住民が義務的に土地と結びつけられていた中世とは異なり、現代は移動の自由がある。居住地は住民登録で示されている。良く知られていることだが、戸籍上の本籍は、皇居でも富士山頂上でもディズニーランドでも、どこにしてもよい。

本書では、とくに明治期に編成された壬申戸籍、そして戦後の民法後の戸籍に関する法律については、行政上の見解、役所による実務の運用、前例、裁判判例等を整理している。

そして、戸籍の存在意義について、課税や人口調査、治安維持、徴兵、福祉、参政権付与、国籍の証明等々の目的の一つ一つにおいて、実際の有用性を検証していくのだ。

読みどころ2 「戸籍がない」とはどういうことなのか?

本書の独自性は、戸籍という存在にスポットを当てるとともに、タイトルにもあるように、何らかの事情で日本人でありながら戸籍を持たない「無戸籍者」の存在にも目を向けていることだろう。

じつは、漂浪者、移民、行方不明者、引揚者等々、明治以降に近代の国家機構が整備され、戸籍制度が関連付けられてからもなお、日本国籍があることは明白だが戸籍のない者は決して少なくはないのである。

それは現代の世においても変わらない。本人にその意識があるか否かは様々ではあるが、諸事情により戸籍を持たない、持ちたくてももてない人がいる。それは時折、報道によりその存在が取り上げられ、私たちを驚かせることがある。

本書では現代の無戸籍者についてその要因、現実の生活の不便などについてレポートしている。

無国籍者は、現実として各種の権利がはく奪されている状態のことが多いため、国民として当然の権利を享受させるために救済すべき存在として語られるのは当然のこと。早急に戸籍を作り直せるようにすべきであろう。

しかし、先に申し上げた通り、理論上は戸籍がなくても、大半の行政サービスはそれぞれの手続きを行うことで過不足なく受けられるはずでもある。

つまり無戸籍者は、私たちが素朴に持っている戸籍の自明性を揺るがす存在であり、「戸籍がなくても生きられる社会」の可能性を端的に示しているのだともいえる。

現在、日本と中国のみに存在するといわれる戸籍(韓国では廃止)。今後の制度の在り方を考えるうえでも、そのありのままの姿を確定し、見つめなおしてみることは必要なのではないか、という感想をもった。

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