貿易戦争の政治経済学:資本主義を再構築する ダニ・ロドリック著 白水社
日経新聞で『危機でも変わらない世界』という記事が話題になった。語り手は米ハーバード大教授で経済学者のダニ・ロドリック氏。
かいつまんで記事の内容を説明すると、コロナ禍により、政治的にも経済的にも、異常事態といえる混乱が現出したが、世界の在り様が大きく転換したわけではなく、ずっとそうだったものが顕在化したに過ぎないというものだ。
コロナにより「それぞれの国の政治の主な特徴を一段と際立たせている」「各国は、本来の姿をデフォルメした状態になっている」という言い方は思い当たる節があり、皮肉がきいているとも思える。
国民国家・ネーションステートの枠組みの中で、経済政策はもちろん、ひたぶるに科学的であることが求められるはずの検疫の政策ですら、国内政治に翻弄され必ずしも妥当な選択ができない状況が露になっているのだ。
読みどころ1 国内政治とグローバリズム
さて、コロナ前に発刊された本書「貿易戦争の政治経済学:資本主義を再構築する」は「米中貿易戦争」が激化し、トランプ大統領(当時)が矢継ぎ早に繰り出す制裁的な関税に、中国も徹底抗戦する時期に書かれたもの。
自由貿易が世界全体のパイを増やす、というグローバリズムの「理想」から離れた、重商主義、保護主義な政治で、lose-loseの危険をはらむチキンレースの様相を呈する状況が描かれている。
トランプ大統領の対中経済政策には、国内政治的な動機が強いことはよく知られている。衰退産業であるデトロイトなど自動車をはじめとした工業地帯「ラスト・ベルト」の労働者層票がほしかったというものだ。
自由貿易がよいものか、という議論はひとまずおいておくとして、「グローバリズムって、さほど人を幸せにしていないのではないか」という不安・不満が各国に充満し、その不満をポピュリズムによる「怒りの政治」が掬い取り、経済政策はその合理性にかかわりなくひっくり返る、これは世界的な現象である。
ロドリックは、トランプ大統領の政策のほか、英国EU離脱、またギリシャなど欧州の反緊縮、反グローバル運動などの例を挙げ、関税・非関税障壁の撤廃、IMF、EU的な財政規律と緊縮化などが、国民国家、民主主義とぶつかる様を描き出し、構造上それが当たり前の姿であると論じているのだ
読みどころ2 経済学者・知識人の役割とは
そしてとくにアクチュアルなのが「知識人」の責任を問う部分ではないだろうか。グローバリズムを推進する経済学者は、以上のような状況に「政治が経済をゆがめている」と顔をしかめ、モデルを崩すふるまいをする愚かな国民、また愚かな政治家を冷笑する。そして「政治は自分の責任範囲ではない」「選挙結果はコントロールできない」としらばっくれる。
しかし、ここでロドリックは「政治こそが重要なのだ、愚か者!」と叫ぶ。
経済学者は、経済学の美しいモデルをみて政策を語り、助言する。それが政治的に実現可能か不可能かはとりあえず無視して。
確かにそれが学問的な態度ともいえる
しかし失敗した場合に「私の言う通りにしなかったから」と責任を逃れることはできない。実際に適応するときには政治の力学もまた分析すべき対象である。
そもそも学者もまた、自分自身の政治的な野心をもっていて、それを一般受けするクリアカットな論理に隠して押し出してきたではないか。著者はそのような知識人を難詰しているのだ。
むろん、筆者は自然科学だけではなく社会科学についても純理論的な学問の価値を否定しない。しかし「すべてが政治的であらざるを得ない状況」には、意識的であるよう訴えている。
そしてダイナミックな政治状況において、政治力学を、妥当な経済政策に収れんさせる「政策イノベーション」の可能性を探っている。むろん難しい問題ではあるが、傾聴に値するものだろう