不道徳な見えざる手(ジョージ・A. アカロフ、ロバート・J. シラー著、山形 浩生訳、東洋経済新報社)


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アダム・スミスは市場経済には「見えざる手」があるといった。

すなわち、マーケットにおいては、売り手買い手それぞれが自身の便益に資するよう行動し、需要と供給の均衡したところで価格が決定し、あらゆる資源は適切に配分されるということ。

市場経済は多くの人を豊かにしてきたことは、歴史が証明しているようでもある。

しかし、その大きな均衡の中には常に、不当に高値を掴まされる人や暴利を得る人がいる。市場のここそこには不道徳としか言いようのない盛大な騙しがあり、私たちはその騙しありきの市場において財やサービス、賃金等の価格が決まる根拠なき「均衡」に身を置いているともいえるだろう

余談ではあるがスミスは一度も「神の」見えざる手という言葉は使っていないそうである

閑話休題

『不道徳な見えざる手』(ジョージ・A. アカロフ、ロバート・J. シラー著、山形 浩生訳、東洋経済新報社)では、ノーベル経済学賞を受賞したアカロフが、その均衡を『釣り均衡』と呼んだうえで数々の「釣り」の事例を示す。

紹介されるのは、伝説的なマーケターたちの(今なら広告規制に引っかかりそうな)販促戦略、自動車ディーラー、不動産屋の高値掴みを誘うための交渉術、支払い能力以上にクレジットカードを使わせる技術、たばこや酒、ギャンブルなど、病的な依存とともにある事業など。

とくにサブプライムローンやS&Lの破たんが引き起こした金融危機については、大きな悪影響を招いたケースとしてとくに詳しく論じている。

また、危険な医薬品の認可や金融規制の緩和のためのロビイング、政治資金と選挙戦略の関係など、政治が経済に及ぼす影響にも触れる。

商売人から政治家、アカデミシャンまで、釣り師たちが語るスタイリッシュで魅惑的な物語が、公正な市場、社会保障制度、金融規制をはじめとしたレギュレーションなどの仕組みを粉砕する事例は数知れない。とアカロフは慨嘆するのだ。

とはいえ、市場が作り出す均衡が理想的な結果をもたらさない、という問題意識は古いものではない

本書で騙しのテクニックとしてあげられているセールスマンらの事例も、行動経済学を紹介する読み物本などで、既視感がある。

なにより何をもって「釣り」なのか、「企業努力」の違いも厳密にはわからない。その線引きはもとより困難な話である。

うなずきながら読みつつも、新しい発見に乏しい本だと感じないこともない

では、ノーベル賞経済学者が、経済学のタームや数式を使わない(使われても私は困る)一般向けの書籍で、言いたかったことは何だろうか。

思うに、理論的に厳密な概念ではなくとも、人をあまり幸せにしない「釣り均衡」の状態が、決して異常ではなく、日常として存在しているという認識をコモンセンスとして持つべきということではないか

個々の政策への賛否はいろいろあるのは当然として、市場をあたかも「神」が作り上げたかのような頭からの信頼は、まあそこそこ位にしておけ、というメッセージではないか

今後も、私たちは、メディアに乗って喧伝される騙しの物語に手もなく乗って、恥ずかしい選択をし続けるのだろう。しかし騙されるにしても少しは抑制的でありたいものだ。あと、福祉とか公正取引とか労働組合とか、もっさりした議論をむやみに馬鹿にしないほうがよい、とも心に期したい。

 

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